2016年6月12日日曜日

巖さんの「上告趣意書」補充意見

                                 静岡国体での巖さんのファイト(1957年)

巖さんが書いた上告趣意書のその中に、録音とっていることを巖さんが書いているところがあるようですね。
「録音とってる」

『刑事等が前もって私に対し弁護士に言いつけたら後で半殺しにしてくれるからと言い渡し、刑事等が盗聴しているのであります』って書いてあるんです。こういうこと巌さんは知っていたんですか。
「しらん。わかりゃせんな。ウソの事だな。いろんなことが書いてあるが、日本でやったことウソのこと。袴田巖がこう言ったとか、ああ言ったっていうの全部ウソなんだ」

『取調べの真相を弁護人に訴えることが出来なかったのであります。何故なら、盗聴器によって総て聞かれているので、刑事等の違法行為を弁護人に訴えれば、その後の反動的取調べで、私は生命にも係る拷問虐待を強いられることは火を見るよりも明らかであったのでございます』って書いてあるんです。
「否認をするというね根本的にああいうことが違う、こういうことが違う。言い分だな、みんなウソで書かれているだね。袴田巖が勝たなきゃしょうがないんで。勝つように書かれているんだね。日本でやったことがね。

その後『その所為で弁護人には取り調べ状況を訴え得なかったのであります。当時私は生命を守る為に、1日も早く清水警察署を出て体調を正常に戻し、そして裁判所に於いて本件捜査陣等のデッチ上げ虚構及び偽証の悪辣極まった本件捜査過程を公判廷の場で明らかにして行きたかったのであります』
 これはすごい。

「まあ。どういうことなのかな。袴田巖が勝つにゃ。そういうことに書いてなきゃしょうがないんだね。事件がない、無罪があるからね。国家が認めているんだからね。それに対立することが間違っている。ウソのことなんだね。色んなこと書いてあるがね。袴田巖が勝つように警察が書いているんだ。」

その後『警察の法を犯した捜査過程に於いて、私は犯人でないという真実を主張すれば、その時点で、私の生命は危険であり、又、弁護人に不当な本件取調べを訴えたところで、その日に清水警察署を出られる筈もなく、拷問等を避ける道はないのであります。当時、私にとっての生とは調官の意のままになることでありました。私は自らの命を必要に守ったのであります。』
これで頑張ったんですね。

「いろんな言い分があるんだがね、無罪だということを、事件をやっちゃいないんだぞということを警察が書いているんだな。警察、検察が書いているだね、それはどうしても事件がない、無罪があるからだ。それが冤罪事件。警察、検察がやっているんだ。これが無罪だと言っている。やっちゃあいねえんだぞということは、証拠がある、事件がない、無罪だぞということ。」
これ多少は記憶がありますか。

「そういった記憶がないんだね。記憶がね。警察、検察が書いてることがね、勝たせるために書いている。」
巖さんが頑張って書いてるものだと思いますよ。

「そんな風にね、見られちゃうんだね。」
いい文章だと思います。

「マア世の中証拠として残っていくことがね、書きゃね。残っていくということなんだがね。矢張り根本的に事実関係がしっかりしていにゃしょうがないだね。事件がない、無罪じゃどうもしょうがないんだ。最初の勝負はね。警察、検察、裁判所の証拠が事件がない、無罪がある。 これを見て、有罪にしようったって出来るわけがないんだ。あらゆることを袴田巖が言っている、書いている、これで無罪だ、これで無罪と書いているんでね。これは警察、検察、裁判所が書いていること。世の中、冤罪事件で、であるから冤罪事件を認めているんだね。やっちゃいねえんだぞと。そういう証拠をああでもないこうでもない引っ張り出して、どういうことかと言えば、本人は事件はない、無罪がある。どうにもそれ以外にないんだね、結果がね。それに見合うように証拠がいくらでも作られてきてるんだね。それだけ善だって、司法権力がね。事件がない、無罪。そいつを殺そうと、本当に殺してしまおうと、とても出来だでね。だからあれで無罪、これで無罪、やってないということをいっぱい書いているんだね。」
巖さんが書いていること正しいと思います。

「そういうことが司法権力なんだがね。権力が無実の野郎を殺そうなんて思やせんのだ実際。」
本当の正しい権力ならね。それが間違っていたんですね。

「権力者がね実際じゃ思やせんだね。これは修行の為にやってることだね、袴田巖がねハワイにいて修行の為にやっていることだね。」
後ね、巖さんね、傷の話を覚えているんですか。

「あんなものどうあったって死んだ人がないんだからね。事件がないだからね。関係はありゃせんのだね。」
肩の傷もあって、足のほうにも傷があったんですか。すねに。

「どうだかな。分かりゃせんがね。いろんな傷ぐらいなものいくらでも出来るんだからね、後からね。疑いを持たせる為、いっぱい傷ぐらい出来る。死んだ人がいないんじゃ何があったってしょうがない。」
火事のときに、消火活動で傷、肩の傷を受けたって聞いたんです。

「そんなことは後で書くだけのこと。いくらでも書けるんだからね。あそこに傷があった、ここに傷があったことぐらいね。いくらでも書けるだからね。あそこに傷があった、まそういう風に犯人であるというね。証拠だね。自白した、犯人だ、傷があるだとか、疑わしてるだけだね。現に死んだ人がいないんじゃしょうがないんだね。こがね味噌、こがね味噌事件って言ったって死んだ人がいないのに、犯人だ、犯人だって言ったって、勝てるわけないんだね。」
足の傷の記憶は全くないですか。

「ないね。どうまあ、そんなこと問題になったのか。なったとも思えんだね。問題にしたとこが、足の傷がどういうこと、足の傷があるから犯人だといえやせんだからね。」
肩の傷は言われちゃったんですか。

「どうだったか、忘れちゃってるんだが。傷なんかどこにどうあったって、へっちゃらだね。死んだ人がいねえんだからね。」
これ、いい文章です。 

「全部ウソだからね。全部嘘言っているんだ。」
                                       (5/22  自宅にて)

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