12・12袴田巖さんの再収監を許さないアピール行動に向けて
袴田巌さんは1980年11月の最高裁の死刑判決後、9000字余の「判決訂正書」を最高裁に提出しています。その中で袴田さんは、「右肩の傷」のことについて触れています。
毎日街歩きの前の一こま |
当裁判所におかれても物的証拠に逆らって被告人の上告を棄却したものであり、そのような不正義を国民が許す筈はない。一日も早く判決訂正を実施すべきである。
2014年3月に釈放された袴田さんの右腕に、この傷は1.5cmの直線の傷痕として残っていました。この傷を見て浜松の支援者の藤原さんが、「袴田さんは生き抜いて残した無実の証拠だ」と、心血を注いで意見書を作成しました。そして、弁護団はこの藤原意見書を基に、今年6月7日付けで、最高裁に特別抗告補充書として提出しました。
大島不当決定で再審開始決定を取り消され既に1年5ヶ月が経過しました。
最高検は「誤った法解釈を前提とする刑の執行停止が継続する状態がいたずらに続くことを解消するためにも、本件特別抗告は速やかに棄却されるべきである。」との意見書を提出し、最高裁が再審開始決定を再び取り消した場合は、袴田さんを死刑台に直ちに送り込もうとしています。
絶対に許すことは出来ません。
最高裁は今年6月の大崎事件の再審開始決定の取消、そして、今日(11月16日)北陵クリニック筋弛緩剤冤罪事件の特別抗告を認めない決定をしました。
袴田巖さんの一刻も早い再審開始を求め、何としても再収監をさせない取り組みを、袴田さんの死刑が確定された日である、12月12日に「再収監を許さないアピール行動」を昨年に続き計画しました。
一人でも多くの皆さんのご参加を呼びかけ、浜松で暮らす袴田さんの状況をお伝えします。
巌さんとの会話
(9月13日の夕方、街歩きから帰って
一休みのところをお邪魔して)
袴田さんの拘禁反応による精神障害の状況は、1985年ころから始まっている状態と今も大きな変化はありません。この日の会話でもそれを感じましたので、その様子の一部をお知らせします。
・裁判官のこと・・・
○裁判官?まあ裁判官もみな罪だね。事件がない無罪を隠してやってることだね、裁判をね。みな罪だ、そりゃね。最高裁も罪だつぅうんだね。無罪の証拠があるのにそれを隠して有罪、死刑だね。それじゃ法律に反してい
るね。
・納得いきませんよね。
○そうなって当時の最高裁も死刑だとそんなものになってきたんだね。儀式がね。何でやらんちゃんとね。事件がない無罪。証拠があるのにそれで裁判何故やらねぇんだっていう事だね。最高裁がね。そういうことが今言われているんだ。
・巌さんが再審の時に意見書をたくさん書いたと思うんですけどね、再審については巌さんはどんな思いがありますか。
○まあ再審?裁判の結果を待つしかないわね。どうなってくかね。待つしかない。事件がない無罪があるんだがね、警察も検事も再審の証拠があるんだからね。それを使えば有罪にゃあ出来んだね。後から考えてもね。だから罪だつぅうんだ最高裁はね。そんな嘘でやったっんじゃね。
・大きな罪ですよね
○うーん、そういう何が罪だとかいうことが弁護士も罪だって知っててやってるんだからね、検事も裁判所も知っててやるんだからね、事件がない無罪なのに。証拠があるのにやってるんだね。そんなものは罪だつぅうんだね。今になって、偉くなったからね、政府国家権力になったから今になって言えるんだね、昔のことをね。
・巌さんは良くそれで耐えられましたね。
○まあそうだ、15年耐えたつぅうことだね。15年耐えれば相当のことが出来るんでね。闘いがね、儀式のね。地球全体、社会を良くする力を持つだね。まあそういう期待に応えたということだね。期待に応えて全てに勝ったということだね。袴田巖はね。それで政府、国家権力になったということだね。だんだん司法そのものがやったこと儀式で書いたって嘘なんだね。書けやせんのだね。犯人であるということを書いたっていうが、それが書けねぇんだでね。マリアがね、書いたって言うが、書けねぇんだね。書けないんじゃ否認するに決まっているんだ、事件を犯したとね。書けば認めるんだ、事件を犯したということで、裁判所でねかけねぇじゃ認めねぇ。そういうことが問題になってきているんだね。マリアが書いたって言うが、書けねぇんんで。否認したっていうことね、書けないだね。否認したそういう事が問題になってきたんだね。(後略)
袴田さんは死刑が確定され、死刑囚だけの獄舎に移ってから精神が蝕まれ始め、ついには最大の権力者だという妄想の世界を築き、命を守ることに全精力を注ぐことになってしまいました。
袴田さんの命を守るため、再収監させない取り組みに多くの皆さんのご参加を呼びかけます。
袴田巖さんの再審無罪を求める実行委員会(浜松 袴田巖さんを救う市民の会 寺澤)